『終末から』は、1970年代前半の日本において特異な位置を占めていた総合雑誌です。 筑摩書房から発行され、1973年6月30日に創刊し、1974年10月の第9号で終刊を迎えました。 隔月刊として刊行されていたこの雑誌は、わずか1年4か月の短い期間しか存在しませんでしたが、その内容は極めて濃密で、当時の知識人や文化人の間で大きな注目を集めました。
編集長は原田奈翁雄が務め、編集部員には『ガロ』に関係していた松田哲夫が在籍していました。 この関係から、『ガロ』系の人脈が数多く執筆陣に加わっており、当時のサブカルチャーとメインストリームの文化が交差する稀有な場となりました。 雑誌のタイトルは、当時の社会で終末論がささやかれていた状況を反映して命名されたもので、その論調は「終末論、破滅、反体制」を軸としていました。
創刊号である1973年6月号は、野坂昭如が構成を手掛けた「破滅学入門」が特集として組まれました。 この特集は、当時の社会的な不安や将来への不透明感を背景に、破滅や終末についての思想的な考察を深める内容でした。 筑摩書房は、終末論が広く議論されていた当時の世相を敏感に汲み取り、この雑誌を発刊したのです。
参考)https://www.redelec.ch/items/Y277368556/
創刊号の表紙には、横尾忠則による豪華絢爛な長尺絵巻「千年王国」が折込付録として付いていました。 この絵巻は8ページ分、長さ1メートルにも及ぶ壮大な作品で、雑誌の創刊を記念するにふさわしい豪華な仕上がりでした。 定価は380円で、286ページのボリュームのある創刊号となりました。
創刊号の執筆陣には、野坂昭如、赤瀬川原平、木村恒久、井上ひさしといった錚々たるメンバーが名を連ねました。 さらに、小松左京、開高健、中井英夫、埴谷雄高、種村季弘、石原慎太郎といった著名な作家や評論家も論評を掲載し、知的な議論の場を提供しました。
『終末から』には、後の文学史において重要な位置を占めることになる作品が多数連載されていました。 特に注目すべきは、井上ひさしの『吉里吉里人』です。 この作品は廃刊後に『小説新潮』で再連載され完結し、1982年には単行本化されました。 驚くべきことに、この作品の挿絵は佐々木マキが担当しており、文学と漫画の境界を越えたコラボレーションが実現していました。
赤瀬川原平による『虚虚実実実話櫻画報』も重要な連載作品の一つです。 これは『朝日ジャーナル』や『ガロ』などに連載された『櫻画報』の続編で、連載中に第二次千円札事件が起こったため、その顛末が語られることになりました。 単行本化にあたっては大幅に改稿され、『鏡の町皮膚の町』と改題されています。
小松左京の『おしゃべりな訪問者』は、タイムマシンを用いて歴史上の人物にインタビューするという架空インタビューの連作でした。 挿絵は秋竜山が担当し、SF的要素と歴史考察が融合したユニークな作品でした。 鈴木志郎康の『時間なき人々』は、単行本化にあたって『おじいさん・おばあさん』と改題されました。
田辺聖子の『今様上方落語』は、水木しげるが挿絵を担当し、のちに『おせいさんの落語』と改題されました。 中井英夫の『蒼白者の行進』は建石修志の挿絵付きで連載され、野坂昭如の『八方鬼門』も掲載されました。
『終末から』の各号は、それぞれ異なるテーマを掲げ、当時の社会状況や文化的な動向を反映していました。 創刊号の「破滅学入門」に続き、第2号は「破滅を前にこう生きる」という特集で、終末論的な状況下での生き方を問う内容でした。 この号にも林静一による豪華絢爛長尺絵巻「光夢恋」が付録として付いていました。
参考)https://rojiura-s.o.oo7.jp/products/Magazine/Syumatsu.html
第3号は「破滅か、変革か、…」という特集で、当時の社会が直面していた選択を提示しました。 この号には「終末歌情」というグラビア企画があり、歌謡曲の歌詞にイラストを合わせた内容でした。 林静一は黛じゅんの「恋のハレルヤ」、片山健は辺見まりの「経験」を描き、つげ忠男、滝田ゆう、南伸坊、馬場のぼるなどの漫画家も参加しました。
第4号は「青春のいま……」という特集で、土方巽、麿赤児などをグラビアに取り上げました。 第5号は「私からはじまる反乱」というテーマで、井上ひさしの歌詞に佐々木マキと馬場のぼるが描いた「井上ひさし歌集」がグラビアとして掲載されました。 第6号は「さよならを日本に」という特集で、終刊に向かって雑誌の論調がさらに過激になっていったことを示唆しています。
『終末から』の傾向と論調は、「終末論、破滅、反体制」を軸に、あらゆる社会問題を取り上げていました。 思想に関係なく「当時の日本政府と政治体制を叩けるのであれば何でも」というスタンスで、政府の公的支配打倒による荘園主義の形成を主張していました。 これは終末論者を不安に駆らせ、反日主義者を煽る過激な論調でした。
終刊近くになると、「(日本には)未来が無いから日本を脱出しよう。」といった論文まで掲載されるようになりました。 このような過激な内容が、雑誌の存続を困難にした可能性があります。 結局、創刊から1年4か月後の第9号で終刊となりました。
この雑誌が短命で終わった理由は、いくつか考えられます。一つは、当時の出版事情や経済的な要因です。1970年代はオイルショックなどの経済的な混乱があり、出版業界も大きな影響を受けていました。 もう一つの理由は、あまりにも過激な論調が、一般読者や書店の支持を得られなかった可能性があります。
現在では、『終末から』は稀少な雑誌として古書市場で取引されています。 創刊号から終刊号まで全9冊揃ったセットは、重さが3kgを超える分厚い雑誌で、古書店では特別扱いされています。 ヤフオクなどのオークションサイトでも occasionally 出品され、古書愛好家の間で注目されています。
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現代の視点から見ると、『終末から』は1970年代の日本の知的・文化的な situation を理解する上で重要な資料となっています。 当時の終末論や反体制思想、サブカルチャーとメインカルチャーの交差点としての役割を考察する上で、貴重な一次資料です。
この雑誌に掲載された作家や作品の多くは、その後の日本文学や文化において重要な位置を占めることになりました。 井上ひさしの『吉里吉里人』や、赤瀬川原平の作品などは、現代でも研究対象となっています。