
刷子縁とは、腸の内側の上皮や腎臓の尿細管の上皮などで、空間に面する側の上皮細胞の表面が厚く縁取られているように見える構造のことです。この名称は、通常の顕微鏡(光学顕微鏡)でみたときの見え方を元にした呼び方であり、組織学の授業で初めてこの構造を目にした医療従事者も多いのではないでしょうか。
光学顕微鏡観察では、細胞表面に何らかの特殊な構造が存在していることは分かるものの、個々の微細構造までは解像できません。そのため、「縁取られた構造」として認識され、これが刷子縁という名称の由来になっています。
重要な点として、刷子縁は独立した構造ではなく、微絨毛が密集した結果として光学顕微鏡で観察される像そのものを指す用語です。つまり、刷子縁と微絨毛は「同じ構造を異なる観察レベルで呼んでいるに過ぎない」という理解が正確です。
参考)刷子縁(さっしえん)とは? 意味や使い方 - コトバンク
電子顕微鏡で刷子縁をさらに拡大して観察すると、上皮細胞の表面に微絨毛がびっしりと生えていることが確認できます。微絨毛(microvillus)は上皮細胞遊離面から出る細小指状突起で、電子顕微鏡下で初めて清楚に辨认できる構造です。
微絨毛の寸法は以下の通りです。
参考)https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-22590198/22590198seika.pdf
微絨毛の内部構造は、細胞膜で包囲され、内部に細胞質の延伸部分を含みます。縦断面では、微絨毛中心に多くの縦行配列の微糸(microfilament)が存在し、これはアクチンフィラメントの束で構成されています。これらの微糸束は微絨毛の形態を支える支柱として機能し、微糸の一端は微絨毛尖端に付着、他端は細胞頂部の終末網(terminal web)に付着しています。
ここで多くの医療従事者が混同しやすい重要ポイントがあります。微絨毛の基本構造はどこでも同じですが、どこに生えているかによって微絨毛の長さは異なり、これによって用語の使い分けが存在します。
| 器官 | 微絨毛の長さ | 光学顕微鏡像の名称 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| 腎臓 近位尿細管 | 約2μm(長め) | 刷子縁(brush border) | 毛が生えているように見える |
| 小腸 粘膜上皮 | 約1μm(腎臓の半分) | 紋状縁(striated border) | 単に縁取られているように見える |
厳密に言うと、「刷子縁」という用語を使うのは、ちょっと長め(2μm程度)の微絨毛の場合で、例えば腎臓の近位尿細管の場合にこう呼びます。一方、小腸と大腸の粘膜上皮では1本1本の微絨毛の長さが腎臓の半分ぐらいしかないため、顕微鏡で見たときに毛が生えているようには見えず、単に細胞表面が縁取られているように見えます。
近位尿細管で一番特徴的な部分は、まさにこの刷子縁(線状縁)であり、光学顕微鏡でも容易に見ることができます。
微絨毛の最大の生理学的意義は、細胞の表面積を劇的に拡大することにあります。一個の腸細胞表面に約3000本の微絨毛が存在し、これが顕著に細胞の表面積を拡大し、栄養物質の吸収に有利に働きます。
小腸における表面積拡大の段階的プロセスは以下の通りです。
1. 輪状ひだ(輪の形をしたひだ)が小腸内壁に存在
2. 輪状ひだを覆うように絨毛が存在
3. 1つの絨毛表面に栄養吸収細胞が存在
4. 1個の栄養吸収細胞の先端に数千もの微絨毛が並ぶ
参考)栄養素吸収のアンカーを務めるのは? 小腸にある「微絨毛」が消…
この多重構造の結果、環状皺褶、絨毛、微絨毛の存在により、最終的に小腸の吸収面積は同じ長さの単純な円筒状の面積より約600倍増加し、約200m²に達します。栄養吸収細胞の表面(管腔側)にある微絨毛が形成する刷子縁の表面積は、実に2,000,000cm²にもなり、これは単純な管として計算した表面積の300倍以上です。
参考)小腸における消化吸収
驚くべき事実として、肺胞の表面積も約85m²と広いですが、小腸微絨毛の表面積はその2倍も広く、体内で最も広い表面積を誇ります。これほどの表面積拡大により、細胞は周囲との物質交換能力を大幅に高めることができます。
参考)https://www.jove.com/ja/science-education/v/13928/microvilli
ここからは教科書ではあまり触れられない、臨床的に重要な独自視点を提供します。微絨毛の構造異常が引き起こす疾患として、「微絨毛封入体病(Microvillous Inclusion Disease:MVID)」があります。この疾患は、刷子縁の形成異常に起因する重篤な病態です。
微絨毛封入体病の病態:腸管上皮細胞の微絨毛が腸管腔側に正常に局在できないために、大量の水様下痢をきたし、水・電解質・重炭酸の喪失と栄養素の吸収障害をきたす常染色体劣勢遺伝性疾患です。
参考)微絨毛封入体病 概要 - 小児慢性特定疾病情報センター
電子顕微鏡的所見として、微絨毛の密度が疎で丈が低いことから、「先天性微絨毛萎縮症(congenital microvillus atrophy)」とも呼称されてきました。
参考)https://www.shouman.jp/archives/print/print_12_2_7_01.pdf
臨床症状。
病因:腸管上皮細胞の成熟過程で起こるべき細胞内での微細構造の移送に関わる機能異常により、微絨毛が腸管腔側に正常に局在できないことが病因です。Myosin-VbをコードするMYO5B遺伝子が原因遺伝子であることが2008年に報告されています。
参考)Final Diagnosis -- Case 163
病理組織学的所見。
電子顕微鏡所見:表面の腸上皮細胞内に細胞質内封入体(アルカリホスファターゼ染色の超微細構造対応物)が存在し、これらは刷子縁微絨毛によって裏打ちされています。
治療:腸移植が現在の治療法です。長期の合併症から小腸移植の適応となりますが、これは遺伝性疾患であるため、影響を受けた家族の遺伝カウンセリングが不可欠です。
関連するその他の疾患。
参考)Table: 特定の吸収不良疾患における小腸粘膜の組織学的所…
これらの疾患は、微絨毛や刷子縁の構造維持が、単なる形態学的特徴ではなく、生命維持に不可欠な生理機能であることを示しています。
最新研究の知見:2022年の研究では、腸刷子縁の形成にはTMIGD1ベースの微絨毛間接着複合体が必要であることが示されました。微絨毛の先端に位置する微絨毛間接着複合体(IMAC)に加え、微絨毛の基部にTMIGD1を中心とした第2の接着複合体が同定され、これらが微絨毛のパッキングと組織化を仲介し、完全な刷子縁形成に必要であることが明らかになりました。
参考)https://www.cosmobio.co.jp/aaas_signal/archive/ra-20220913-2.asp
微絨毛封入体病 概要 - 難病情報センター(微絨毛封入体病の病因、症状、診断基準の詳細)
Final Diagnosis -- Microvillous Inclusion Disease - University of Pittsburgh(電子顕微鏡所見と病理組織学的診断基準の解説)
腸刷子縁の形成にはTMIGD1ベースの微絨毛間接着複合体が必要 - コスモバイオ(TMIGD1と刷子縁形成の最新研究)
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